きみに会いたい - I Miss You |
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◆「この作品を、『サイコ・ファンタジー』と名づけましょう!」と、担当編集者Hはいった。いやしかし、彼女のねばり勝ち、みたいな作品である。「夜の子どもたち」でのキワモノ的作風が受けたのか、彼女はああいうキワモノ的なものを書かせたかったのだろうか。この頃、わたしとHは打ち合わせの時はいつも渋谷の「三吾」という酒場で飲みながらいろんな話をした。おかみのMさんが、業界のことをよく知ってて、じつはわたしのことも知っておられて、なんだか居心地が良かったのだ。安かったしね。 ◆「もしかしたら、これはわたしと《彼》との恋物語だったのかもしれない」という帯の文句で、児童書ではないところに置かれたりしたが、まあまあの売れ行き。中学生の子たちからの反応がつよい。 ◆私が本でこんなにすばらしいと思ったのは初めてです。それから、こんなようにお手紙を作家の人に送るのも初めてです。ノ読み終わったあと、言葉じゃ表せないような幸福感がありました。(山梨県の中2のKさんより) ◆まあ、一例として掲げる。中学生くらいの時期の子と、心を通じ合わせるのは実際に難しい。それは、その年代の子たちとつきあってみればわかる。そういう子たちを念頭 に置きながら書いていく。すると、どうしたって大人とはね…。ちがってくるよねえ… ◆ひとの心が読めてしまう、というのは、まあいってみれば筒井康隆の『七瀬』でおなじみのテーマだが、わたしがここで何度も語っているのは、じつは『障害』を持った子のものの見方、考え方、ということである。つまり『超能力という名のハンディ』を負った少女の、生き方について考えようとしたのだ。そういう意味での普遍性があると思うのだけど、残念ながら大人たちはだれもそんなふうには読んでくれなかった。こどもの読者がすごいと思うのは、かれらはみんな、ストレートに作者のねらいを受けとめてくれることである。理屈はともかく、共感してくれる、という点で、これまた大人とこどもの反応と読書感想の差がはげしい作品のひとつである。 ◆で、作者はこういう差が出てくるたびに大人の見方にちっとも納得がいかなくて、「俺は大人として本当に失格なのかもしれん」と、次第に孤独になってしまうのだった。このまま児童書を書いていたら、永遠に大人になれないままかもしれない。どうしよう。どうすればいいのだろう。 |
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