芝田勝茂の単行本 作品紹介

ドーム郡ものがたり -- 福音館土曜日文庫

2002年2月。『虹へのさすらいの旅』とともに復刊交渉開始。2003年6月小峰書店より復刊!!

芝田勝茂・作、和田慎二・画、発行・福音館書店

[ISBN] 4-8340-0859-2

1981年10月30日 発売→絶版 ¥1,313円(税込)

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= あらすじ =
古い時代のある地方にあったドーム郡という幸せな場所に起こった危機を、一人の少女が救っていくというハイファンタジー。
= PostScript =

考えなくてもひとりでにペンが動いた。

目の前にはドーム郡の世界があった。

毎晩、クミルに会える時間が待ち遠しかった。


1980年の夏。わたしはこの作品の原形をノートに書き、乱暴にもそのコピーを「福音館書店社長様」あてに送りつけた。それから1カ月後、当時の「子どもの館」編集長菅原啓州氏から丁寧な批評をいただき、はじめて「指輪物語」「ナルニア」などの名を教えられ、「ファンタジー」というジャンルについて知った。それがわたしにとっての創作のスタートだった。まるで熱に浮かされたようにドーム郡ものがたりを書いていたときの、あのすばらしい日々…熱狂的な読者からの反響。でも、売れ行きは芳しくなかった。そしてやがて、「品切れ」という形での、絶版宣告。……めぐりめぐって、今、ネットでは、この作品の読者の方々が、「再版運動」をしてくださっている。今読みかえすと、文章の稚拙なところはもちろんあるけれど、それでもこの作品の持つ、圧倒的な『力』に驚く。それはわたしが「頭でつくった」のではなく、わたしの魂の奥から湧いてきたものをすくいとった物語であるからだと思う。

最初に、「読者カード」がやってきた。うれしかった。なんとその数200枚。子どもたちから大人まで。みんな、クミルの旅に夢中になった。そして、子どもたちは、みんなわたしの作品を、「そんな本がほんとにあったんだ!」と信じてくれた。わたしへの手紙は、「訳者の芝田さんへ」という出だしが多かった。ファンタジー全盛の今ではもうそんなことを書いてくれる読者もいないだろうけど。…挿絵の和田慎二さんは、いわずと知れた「スケ番刑事」でおなじみの人気漫画家。もちろんのこと、「和田さんの絵だったので読みました」という書き出しの手紙も多かった。そのころから子どもたちの『活字離れ』がいわれていて(ということはこの20年間言われつづけているということか)本を読まない子たちにぜひ読ませたいというのがねらいだった。そのねらいは見事にあたったわけである。

読者の熱い反応にひきかえ、書評もなくさびしいデビューだった。雑誌「幻想文学」で日本のハイ・ファンタジーのひとつとして評価されたことくらいか。翌年日本児童文学者協会の雑誌「日本児童文学」誌上で1982年度「協会賞」と「新人賞」の両方にノミネートされていたことを知った。協会賞には最終候補作品となっていた。

1984年、名古屋の児童劇団「うりんこ」によって『クミルの旅』のタイトルで上演された。

20年後、ある日のことだった。ラッシュアワーの電車の中で、ふとひとつのメロディーが浮かんできた。「シェーラ・カリーン、キリ・タウラ…」それまで、この歌詞はもちろん親しいものだったにもかかわらず、曲がどんなふうになるかはじつは考えてはいなかった。というより、どんな曲もこの歌詞には合わなかった、といっていいかもしれない。なのに、20年後になって、なぜ、曲が…しかもほんとうに歌詞にぴったりの曲が心に浮かんできたのだろうと不思議だった。その疑問は、やがて解けた。つぎに浮かんできたのは、「ドーム郡ものがたり」の脚本の案だった。それまで、劇と原作は別のものと信じて疑わなかったわたしは、自分が脚本を書くなんてことも信じられなかった。わたしは、作家だ。脚本家ではない。人間にはそれぞれ領分というものがある。そう思っていた。まして、演劇!?…しかし、浮かんできたものは書くしかない。試みに、プロローグの場面をなぞってみた。楽しい場面ができた。…それからほどなく、8人の若者が区民会館のステージでこの作品の練習をはじめていた。…夢、にすぎなかったものが、とてもとても身近なところにあった。

2001年1月、作者の実行してきたサマーキャンプカウンセラーの若者たちを中心とした劇団「コノフの森」によって前編を上演。サブタイトル「もうひとつのサマーキャンプ」。会場:千駄ケ谷区民会館。観客99名。  ◆初演は大成功だった、と思う。アンケートには、たくさんの人が素直な感動をつづっていた。物語にはじめてふれた人たちは、「つづきはどうなるんだ?」と、異口同音にいった。続編を書かねばならなかった…が、これはむずかしかった。小説と舞台はちがうのだ。だが、なんとか続編の台本が完成した。完結篇。「はるかなる森」2002年11月23日上演。

※作品の毀誉褒貶は、理屈からいえばどうでもいいことである。でも、わたしの作品を読んで、わたしと同じように作品を味わってくれた読者のことを考えると、やはり理不尽に「けなされる」ことにそれほど平静ではいられない。わたしのためにではなく『ドーム郡ものがたり』を愛してくれた方々のために、ほんとうにうれしかったことばだった。この作品は、そういう位置にあったのです、と胸をはってみんなにいいたい。

= 書評 =

…ではセカンダリー・ユニバースの創造を日本で最初にやったのは誰のなにかっていうと、芝田勝茂さんの『ドーム郡ものがたり』ではないかと思うんですよ…

(日本SF大会「20世紀のファンタジー総括・日本編」2000年08月 妹尾ゆふ子さん)

「BOOKLOG」のブックレビュー

「ホンの楽しみ」の書評

2011年7月5日、福音館版「ドーム郡ものがたり」「虹へのさすらいの旅」の挿絵をてがけてくださった和田慎二さんが鬼籍に入られました

突然の訃報に、動揺しています

『スケ番刑事』や『明日香』のシリーズの読者たちはなおのことでしょう。そして、わたしの『ドーム郡ものがたり』の読者たちにとっても

……『ドーム郡ものがたり』(初版)の愛読者たちの多くが、『読者カード』に書いていた。「大好きな和田慎二さんの絵だったので買いました」と

30年前、当時、『花とゆめ』の超売れっ子だった和田さんに、『ドーム郡ものがたり』の挿絵を依頼したのは、『スケ番刑事』の作家としてではなく、『クマさんの四季』という、じつにメルヘンタッチの本があったから。森の中で暮らしているクマさんと、ウサギたちとのほのぼのしたやりとりの作品のタッチは、どこか「コノフの森」を想起させた。かれの、「ファンタジー」へのなみなみならぬ想いは『ピグマリオ』や、そしてもちろん、『ドーム郡ものがたり』『虹へのさすらいの旅』の、すべての挿絵にこめられている

いつか毎年の年賀状だけのおつきあいになってしまったが、体と同様、お人柄の大きさ、やさしさは、いちどお会いすれば忘れられない。『虹へのさすらいの旅』が児童文芸新人賞の受賞式には、忙しい中、わざわざ来てくださった。すてきなパーティーにもお招きをいただいた。そして、いつも「『ドーム郡、がんばって!」と励ましてくださった。再刊されたときには、とても喜んでくださった

……ああ、だが、そんなことはどうでもいい。和田さんはもういないのだ

『ドーム郡ものがたり』のページをめくれば、表紙に使われたこの絵が折りこまれている。原画をいちど、福音館で見た。思いがけず、大きな一幅の絵だった。もういちど、見てみたい。……そうだ。和田さんは、いつまでも、あの絵の中にいる。絵を見ればいろんな話もできるんだ。……でもだからって何。もう会えない

合掌

= 2011/07/07 =「時間の木」芝田勝茂のブログ「近況」より