短編に寄せて
短編は当初は本当に苦手だった。(今でも得意ではないけれど)でもまあそれゆえに、 けっこう必死でがんばって書いているので、時々読みかえすと「下手だなあ」 と思わず笑ってしまうことももちろんあるけれど意外な冴えを感じたりもする。 しかしこうしてまとめてみると、けっこう書いてきたんだなあと思う。 この中でいえば「進化論」のもとになった「ネバーランディア」とか、 処女短編で古事記に素材をとった「ウズメの舞台」とか、平家物語に 素材をとった「はちまん先生」などは作者のお気にいり。単行本になったものは 図書館へ行けばだれでも読めるけど、これらの短編は、それっきりなので、 できれば短編集、出したい。作家なのに作品(小説)ではない文章の依頼をうけて、それを書かねばならないのはつらい。 「偉そうに」書いてるけど、これは本音。…最近すこしだけ、こういうものを書くこつがわかってきた ような気がするんだけど。以下にあげたもの以外にもあちこち書き散らしているが、 とりあえず目についたところだけ。
短編作品一覧
- 「少数派」としての子どもたち
1998年12月 −同時代的芝田勝茂論−(UNIT評論98)
もしも、子どもの本の書き手の中で、「同時代に生きていることを感じる作家は?」 と問われたなら、私はまず「芝田勝茂」と答えるだろう。感覚的に共鳴する作家や、 普遍性を感じる作家、巧みさを感じる作家など気になる書き手はたくさんいる。
しかし、芝田勝茂の作品には、同じ時代に生きている模索の過程が見える。 それが感覚的な好き嫌いや、作品の完成度をこえて、私をひきつける。
(絵/奥山恵 氏)
- 不安な「わたし」、仮面の「わたし」
1996年12月 −芝田勝茂の世界をスケッチする−(日本児童文学)
しかし、その「現実」に対する「不安」そのものに、「想像力の翼」を付けようとする作家は多くない。
ましてや、 その「想像力の翼」を持った「不安」を、「わたし」という 心象風景として描こうとする点では、稀有な作家と言ってよいだろう。
…芝田の作品はどれも、この俯瞰の視座と定立の視座が見事に交わっている。 いやその交わりにこそ芝田の「想像力の翼」が生き生きと羽ばたいている。


