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◆この作品に関しては、もうすでに『ぱろる』誌上で「『進化論』と子どもたちの未来」という文も書いているし、あらためてここで書くことはあまりない。よくある質問は「大人向けのものを書くのと、子ども向けのものを書くことの違い」についてだが、これはもちろんのこと『大人向けの方が楽』ということにつきる。なぜか?規制がないからである。子どもにわからない難しい言葉をいくら使ってもいいのだ。どんな表現をしたっていいのだ。どんなにわかりにくい筋立てをしてもいいのだ。これは、作家にとってこんなうれしいことはない。いうらでも冒険できるし、やりたかったことが全部できる。ちょっとした文章の飾りをつけてみたりする。むふふ。の連続、連発である。くそう。なまじ児童文学の作家になったばっかりに、おれは今までこんなに規制を受けながら書いていたのだ、と、思い知らされたなあ。 ◆児童文学は、だから、そんなに難しい、ということをあらためて思う。「わかりやすくて、おもしろい」ということが、どんなに大変なことか…それは、すべての児童文学の作家が直面している問題なのだ。「ズッコケ」シリーズのすごさというのは、じつはそこにある。 ◆「『進化論』と子どもたちの未来」にも書いたと思うが、これを書くきっかけは、興味のあった「進化」にまつわるエトセトラをおもしろく描きたい、ということだった。人間の進化はどんなふうにしてすすむのか、進んだのか。なぜ人間には毛がないのか?なぜ他の動物よりもはるかに成長が遅いのか?クロマニヨン人はネアンデルタール人と「共生」したのか、それとも「食べた」のか?…結局のところ人類の進化は「ネオテニー」=『幼形成熟』といわれるものなのだ、ということがわたしなりの結論だったが(これなら毛がないことの説明は容易だ)そういったわたし自身の『学術的』結論とはまったく無関係に物語は進行した。いやはや、まさか旧約聖書のカインとアベルや、新約聖書のヨゼフとイエス、それにマリアが出てくるとはねえ。 ◆表紙の『受胎告知』は、おなじみ大原美術館のエル・グレコの絵だが、まあ幼少のみぎりより好きだったのでね。思ったより安く版権を得ることができた、というのが驚きでありました。 ◆例によって児童文学者協会賞にノミネートされていたわけだが(さすがに最終、ではなかった)、ということはつまり、これは『児童文学』として認知された、ということか。たしかにわたしは「すべての文学は児童文学である』(日本児童文学)なんてことも書いたが。 |
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