進化論




『進化論』

1997年7月20日 発売
芝田勝茂・作

発行 講談社
¥1,575(税込)
[ISBN] 4-06-208745-6

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講談社ブログ

button.gifあらすじ

いつだったか、その新聞に
大きな活字が踊っていたことを思い出す。
−遺伝子異常の新生児、激増−
−DNA法、国会を通過−
−遺伝子異常児を隔離−
そんなふうにして、事件は始まったのだった。


◆この作品に関しては、もうすでに『ぱろる』誌上で「『進化論』と子どもたちの未来」という文も書いているし、あらためてここで書くことはあまりない。よくある質問は「大人向けのものを書くのと、子ども向けのものを書くことの違い」についてだが、これはもちろんのこと『大人向けの方が楽』ということにつきる。なぜか?規制がないからである。子どもにわからない難しい言葉をいくら使ってもいいのだ。どんな表現をしたっていいのだ。どんなにわかりにくい筋立てをしてもいいのだ。これは、作家にとってこんなうれしいことはない。いうらでも冒険できるし、やりたかったことが全部できる。ちょっとした文章の飾りをつけてみたりする。むふふ。の連続、連発である。くそう。なまじ児童文学の作家になったばっかりに、おれは今までこんなに規制を受けながら書いていたのだ、と、思い知らされたなあ。
◆児童文学は、だから、そんなに難しい、ということをあらためて思う。「わかりやすくて、おもしろい」ということが、どんなに大変なことか…それは、すべての児童文学の作家が直面している問題なのだ。「ズッコケ」シリーズのすごさというのは、じつはそこにある。
◆「『進化論』と子どもたちの未来」にも書いたと思うが、これを書くきっかけは、興味のあった「進化」にまつわるエトセトラをおもしろく描きたい、ということだった。人間の進化はどんなふうにしてすすむのか、進んだのか。なぜ人間には毛がないのか?なぜ他の動物よりもはるかに成長が遅いのか?クロマニヨン人はネアンデルタール人と「共生」したのか、それとも「食べた」のか?…結局のところ人類の進化は「ネオテニー」=『幼形成熟』といわれるものなのだ、ということがわたしなりの結論だったが(これなら毛がないことの説明は容易だ)そういったわたし自身の『学術的』結論とはまったく無関係に物語は進行した。いやはや、まさか旧約聖書のカインとアベルや、新約聖書のヨゼフとイエス、それにマリアが出てくるとはねえ。
◆表紙の『受胎告知』は、おなじみ大原美術館のエル・グレコの絵だが、まあ幼少のみぎりより好きだったのでね。思ったより安く版権を得ることができた、というのが驚きでありました。
◆例によって児童文学者協会賞にノミネートされていたわけだが(さすがに最終、ではなかった)、ということはつまり、これは『児童文学』として認知された、ということか。たしかにわたしは「すべての文学は児童文学である』(日本児童文学)なんてことも書いたが。

書評リンク

・国内作品のお薦めは、児童文学作家芝田勝茂が描く『進化論』で決まり。この作品は、遺伝子異常児という新人類の誕生に恐れおののく人類の姿を描く人類進化テーマの一冊なのだ(SFマガジン1997年11月号)
・芝田勝茂の『進化論』(講談社)は、処女懐胎で誕生した遺伝子異常児としての「新人類」とそれを抹殺しようとする国家権力と「旧人類」の壮絶な闘いに、若い男女の愛を絡ませて展開したポリティカルな近未来小説である。そこには子と親、子どもと大人の今日的な確執の延長上に幻視される危険な予感が象徴されているようで、いささか不気味なのだが、子どもたちの反乱に対する管理強化や国家による法的規制さえも予測されそうな現在だからこそ、同時代的な不思議なリアリティが感じられた。そしてまた、今日的な大状況を近未来に向かって俯瞰したような、モチーフのしっかりした意欲的な作品でもある。おそらく作者は、この作品を構想したある段階で、表現上の不自由さからか子ども読者をメインターゲットからはずしたのではないか。しかしテーマがテーマだけに、もう一工夫してストレートに子どもに向けて表現して欲しかった。(日本児童文学『揺らぐ子どもの現在と物語の現在』野上暁1998年5-6月号)
・最終選考の場に臨むにあたって、わたしは伊沢由美子さんの『ことしの秋』と芝田勝茂氏の『進化論』を強く推すつもりだった。…芝田氏の『進化論』はこの現実を解体して行く強靭な想像力を発揮して異彩を放った。これらの作品こそ、これからの児童文学が目指す方向を示唆する作品として、注目すべきだろうと考えたのである。(さねとうあきら『日本児童文学』協会賞選考経過1998年7-8月号)