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◆ある年の春、参加者40名ほどのスキーキャンプの班があった。いつもは100人以上の規模でやっているのだが、その年のその班はたまたま人数が少なかったのだ。4日間をともにすると、みんな家族みたいになってしまうし、それぞれの個性もきわだってくる。キャンドルファイアーで劇をしても、どんなにつまらないギャグも、最高に受けるのだった。あったかい瞬間。そのとき、ここにいる全員をモデルにして小説を一本書いてやろうと思った。もちろんそんなことはむりで、結局あちこちから引っ張ってくることになるのだが、モデルがいると小説書くのは楽である。できばえとは別の話だが。小5だったパリラもヒロもあざやかな個性のこどもだった。大人になった今でもそうだけど。 ◆そういうわけで、この作品のなかのこどもたちは、生きている。正直いって、大人たちにはあまり評判がいいとはいえない作品である。メッセージが露骨であるとか、SFへの入り方が唐突であるとか、独善的な登場人物への違和感とかまあいろんな批判があるが、要は、あまりにも主張が生々しいからではないかと思うし、エピソードはあまりにも…なんというか、過激。管理教育にしても、集団によるひとつのクラスへのいじめというか、迫害にしても、たしかにこれはあまりにも、すさまじすぎるだろう。極端なのはそれだけでなく、こどもたちの部分もそうかもしれない。運動会での、リレーのシーンも、作者も書きながら「おいおい、いいのかい、こんなので」と思ったくらい、大人の目でみれば「そりゃないでしょう」となるだろうな、と思う。(でも書く。なぜか?『そうなっているから』なのです。物語の神様がそうおっしゃってるから、しもべは忠実にやるしかないのだわさ) ◆逆に、こどもたちからの反応はすごくはっきりしている。まあ、口から口へと伝わっていく作品のひとつであろうと思う。杉並区の中学生200名が参加する『書評座談会』でこの『星の砦』がとりあげられた時は、大人の見方と、こどもたち…中学生の少年少女の見方がこんなにちがうのだ、とあらためて思った。このことは現実にかれら200人がいる前での発言の数々をきかないと、なかなか理解できないものである。作家はこの時、なんと作中の子どもたちと、ふたたびめぐりあう、という得がたい経験をした。少年少女の発言に、たとえば圭が「あ、それはね…」とか、パリーと夕子が顔を見合わせて「こういうこと、言うかなあ…」とあきれている、という情景がありありと浮かんだのだ。 ◆2000年秋、長野県上田市の、上田染が丘高校演劇班によって県の高校演劇コンクール予選で『星の砦』が上演された。残念ながら予選通過はならなかったそうだが、刊行後7年たってもこうした読者がいることに作者はとても励まされます。あなたたちのつくった「時間の木」の合唱、、聞いてみたかったなあ。新潟県の某大学付属中学3年のクラス、最近では鹿児島県の某子供劇場とかこれを上演したいのだが、という連絡があった。もちろんのこと学生の方々がこの作品をとりあげてくれるのはうれしい。(でも公演の報告をしろとはいわないけどすくなくとも脚本は作者に送るべきなのですよ。どんな脚本であってもね。それが著作者へのせめてもの義務では?) |
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書評リンク |
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| ※以下は掲示板の書きこみから。許可をいただいて転載 ◇たしか、これを初めて読んだ時、わたしはまだ小学校四年生だったと思います。 読み始めて、胸からあふれるものが、とまりませんでした。 なぜこんなにわかるんだろう? 当時(というほど昔でもないかな?)私の胸にわかだまりかけてたものは、まさ にケイやパリーと同じもの。意味のわからないもやもやの正体がわかったような 気がしました。 そしてこの本を書いたひとの本をもっと読んでみたいと思ったのです。 「きみにあいたい」「ふるさとは、夏」「サラシナ」…読んでいくうち、いつか 、かいた人と話をしてみたいと思った。 中学生になって、改めて、この「星の砦」を読むと、驚きました。 小学生じゃわからなかったことが読みとれてきて、思った以上に深い話だったん だなあ、と。 それから中学校で忘れかけていたことを、思い出しました。 一番すばらしいことを、忘れてた…。 成人しても、おばあさんになったって、大切な本だと思う。 おやぶん>中高生には人気がある。大人にはまるっきり> でも、年をとってから、読めば小学生の100倍おもしろいのにと私はおもいます。 「星の砦」には忘れてはいけない大事なことがたくさんつまっているからです。(2004年01月29日(土) 中一作家志望 ) 「BOOKLOG」のブックレビュー ![]() |
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