★サイトの閉鎖とか縮小とか。
小梅ちゃん@妹が、サイトのつれづれ日記や掲示板に表題のようなことを考えている、と書いていた。不遜かもしれないがその気持ちは痛いほどわかる。サイトの運営者が、さまざまな場面で「書きつづける」なんてことは、よほどの図太い神経の持ち主でもないかぎりはきつい話だ。特に作家というのは情けないもので、へこんだり落ちこんだり(同じか)するのは常人よりもはるかに激しい人種である。そして、そこのところが他人にはいちばんわかりにくいところであって、相手は作家なのだからやさしく受けとめてくれるべきであるとか、じぶんはあなたのよき理解者であり読者なのだからあたたかくレスしてくれるはずだとか、その他もろもろの期待が当然であると、なんとなく思っている。つまり、名のあるひとは、それなりの強さがあってしかるべきではないか、というようなことだ。<ダッテアナタハ作家シテルワケデショ>その期待が裏切られると、かわいさあまって……というようなことになったりもするわけで、まあ世の中は難しい。だから、賢い作家はそんな、わざわざ気を使うようなホームページなんてものを持たないし、掲示板みたいなものを設置しない。
わたしがこのサイトを維持しているのは、なんというか、ここからいくつかのことを「発信」したいという、自分なりの使命感みたいなものがあるからで、もうすこししたら……つまり世の中がもっともっと悪くなっていったときに、こういうサイトの存在の意味は多少なりとも出てくるだろうから、やはり今やめてはいかんだろうなあ、と思っている。いや。存在の意味などなくてもいい。とりあえず、いつだってわたしはここで思ったことを書くぞ、というひとつの意志表示として、サイトを維持している。世の中がたったひとつの方向にすすんでいいわけはない。わたしなりの考えを書いていくことで、読むひとがじぶんの考えをつくる参考になればいい、いや、それもまた偉そうだ。ふん、そんな考え方もあるのかい、と読み流してもらえばいい。と、とりあえずはそんなところで、『時間の木』はいましばらく続く……はず。「でも作家は書くのが仕事でしょ。サイトの維持ではなくて」という声ももちろん(じぶんの中にも)あります。それもほんとにそう。書くことでせいいっぱいのときはサイトに立ち寄ることも難しいです。でも、じぶんが書けなくなったとき、サイトに書くのはもっと難しいことです。……小梅ちゃんにエールを送るつもりが何をいってるかわからなくなってしまった(爆)。
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