2003年9月23日
★小林敏也さん宮沢賢治賞★

★9月22日(月)の朝、新聞をひろげたら家庭欄に大きく小林さんのアトリエの写真!花巻市が主催する「宮沢賢治賞」を小林敏也さんが受賞したのだ。わがことのようにうれしい。わたしにとっては小林さんの人柄にふれることができたということが、わが人生の大切な部分である。世の中にはえらい方、すごい方、りっぱな方はたくさんいると思うけれど、いっしょにいて、しみじみとうれしいと思う方はそれほどいるわけではない。素朴で飾らないやさしい兄貴なのだけど、でも生きることと格闘している芸術家。どれだけ格闘しているかは、結晶となった作品の出来をみればわかる。 15点の画本、ぜひ手にとって見てください。「ふるさとは、夏」や「夜の子どもたち」「きみに会いたい」の挿絵は、わたしの文のつたなさを「こうなんだろ?」と横から助けていただいた気がしています。記事には「ぜひ描きたい」作品として「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」があげられていた。小林さんがどんなふうに取り組むのか、ものすごく楽しみ。おめでとうございます。昨日が贈呈式だったんですね。

2003年9月14日
★作家たち★

★松原秀行さんの『竜太と青い薔薇』(講談社青い鳥文庫)とわたしの『ドーム郡』と、たがいの処女作復活を祝う会ということで新宿で飲みました。それは口実ちゃうんかいっとつっこまれそうですが、でも、編集者とはちゃんと打ち合わせもしましたし(汗)みおちづるさんを招き(無理やり…汗)、長崎夏海さんとお会いし(この高名な作家が松原さんとお知り合いだったとは…それにしてもすてきな女性と会うたびに傍若無人なつっこみをする自分を呪ってますすみません長崎さまby芝田)あいかわらず作家や編集者どうしというものは言葉の端々でも「書く」ということの業(性、かな)がありまして、いろんなことを話してもその端々が何かしら役にたつなあと感心しながら一次会終了、かの新宿ゴールデン街へとくりだしたのであります。そもそも新宿は松原さんのホームグラウンド(竜太の舞台が新宿だっ!)、某いきつけの店に入ればそこには「竜太」のポスターに、ママが「パスワード探偵団」のTシャツを着てて、マスターはわたしたちのためにビートルズの曲をすべてギターで奏でてくださる!という最高の場所でありました。そこで「リアルタイムのビートルズファンのお二人がうらやましい」などと危険なほめことばをおっしゃるみおさんにすっかりいい気分にさせられたわたしと松原さん、いったい二人で何十曲歌ったことやら…… ジョンとポールがのりうつった松原さんとすてきな聞き手みおさんのおかげでわたしも芸域を開発(笑)、新しい発見もいっぱいありました。しかし……Come Togetherはジョンですってばマスター!気がつけば終電はなくみおさんはとっくに帰り、ママの(この方歌手!)人生の歌にしみじみ聞きほれてしじみ汁をごちそうになって、これまた自作の「くじらの歌」を歌うマスターの歌で「あ〜鯨食いてぇ〜」とか思いながら月夜のゴールデン街を歩けば体重5キロの猫がねそべっていたりして、学生に戻ったような、すてきな気分。<がんばらねば!>とエネルギーをもらって帰りました。みんなライバル。でも、いろんなものを分かち合えるすばらしいひとたちとの一夜。あ。ひさびさに「近況」らしい。

2003年9月10日
★ドーム郡の世界へ行くということ★

★いま、ドーム郡小史第3部をすこしずつ、行ったり来たりしながらやっているわけですが、……これはどういう意味かといいますと、物語をすすめていく前に「あ。こんなふうになるということは、以前の設定はおかしいわけだよね」というようなことに気づいて、以前の部分を書きなおすわけです。すると、そこがこんどはどんどんふくらんで、まったく異なる設定になってしまったりします。すると当然ながらいちど書いた<その先>が、まったくちがうものにならなければおかしくなる、というようなことです。だから「行ったり来たり」。……で、そのときに『ドーム郡ものがたり』の校正をしたり、『虹へのさすらいの旅』の改訂作業がはいってくるわけです。すると、否応なしに、それぞれの作品がめざしたもの、についてもう一度考えざるをえなくなります。そしてそれを考えると、今やっている「小史3」が、当然ながら影響を受けていきます。そんなふうにして、「ドーム郡」の世界は、過去、現在、未来を行ったり来たり、しながら、今のわたし自身の創作活動をもなんだか激しく揺さぶってくれるわけです。どうなってしまうんだろう、という感覚。なかなかひさしぶりで、なかなか楽しいです。