2003年4月27日
★『SORA』(監督・脚本・撮影:SAORI)★

 「ピースエッジ・フィルムフェスティバルin青山骨董通り」参加作品。仲良く同居していたSORA、ヒロト、コウジ三人の若者たちのところに、ユキという少女が加わることで、4人の関係が微妙に壊れていく。やがてSORAは失踪、SORAの「私の役目」ということばがキーワードとなって、そのことばの「重さ」が物語を支配する。SORAにとっての「彼への役目」が、彼の「再生」であるのなら、彼が再生できたとき、「役目」をなくしたSORAは消えてしまうしかない。けれど、なぜSORAは「役目」にこだわるのだろう。そのことばの枠を超えればそこから新しい関係が生まれるのに……。そんなヒロトの気持ち、そしてまた出て行かざるを得ないSORAの気持ち (すうっと消えるところとか、目で演技する)とか、「今」をとりあえず守りたいコウジとユキ(この二人も自然)の気持ちとかが、短いフィルム(38分)なのだが、もろに見ているものの心に飛び込んでくる。SAORIの視点が、そのまま映像となってあらわれる、ということがこんなにスリリングだとは。それにしても地下の、コンクリートの匂いも生々しいユニークなCAFEでの映写会。壁に貼ったスクリーン……って紙じゃないかっ!映像がその紙からはみ出してゆがんでるじゃないか、とか、とつぜん巨大音響で鼓膜が破れそうになるとか、まあ劣悪な上映環境ではあった。それでもぐいぐい「映像」に惹きつけられる。おもしろかったです、SAORI。こんどはSAORIの処女作『SOME GIRL』をぜひ見たい…できればふつうのスクリーンで(笑)そして、これからのSAORI作品がほんとに楽しみです。

2003年4月23日
★パスワード幽霊ツアー(松原秀行・講談社青い鳥文庫)★

 ★松原さんのパスワードシリーズ、快調に飛ばしてこれが14作目。シリーズ150万部突破、というのがうなずけるのは、これがほんとうにこどもたちにとって「読みたい」本だから。プロットはしっかりしているし、登場人物は読者が違和感なくとけこめる等身大(かな?ちょっとだけおしゃれで、そこにいてくれたらいいな、というような)のリアルな少年少女。少年少女、というところも大事です。つまり、たいていは(「ズッコケ」とかね)「少年」だけだったり、「少女」だけだったりするのですよ。少年も少女も、ここではそれぞれすっきりとおたがいを認め合って、だからこそほのぼのとした好意が読んでいてさわやかなんです。見逃せないのがこのシリーズがじつは<双方向>(インタなんたらというこむずかしい英語を思い出したいひとはどうぞ)小説だということ。毎回出てくるユニークな<なぞなぞ>は、熱心な中学生読者たちからの投稿作品がとりあげられている。「そうそう、この話、知ってる!」というような話題が何気なく挿入されていて、読んでいると「友達としゃべってる」ような気分になる。そして、何より、作者である松原さんがこのシリーズを心から楽しんでいることが、文章の端々から感じられる。のびのびとした解放感で、すてきな仲間たちといっしょに冒険を楽しめる……はい。わたしは松原さんの作品が大好きです。今回も読みながら吹き出してしまいました。だって、ビートルズ好きなわたしにとっては、もう、こたえられない……スチュワート、サトクリフ、ブライアン……あはは。ルーシーインザスカイウイズダイアモンドっ!「竜太シリーズ」2冊の復刊(5月)も楽しみです。早く読みたい。

2003年4月15日
★デウカリオン★

 ★やっとリンクできた遠野さんのHP「MY FAVORITE THINGS」には銀河鉄道に乗って星座を旅するページがあります。今月はわたしの星座、水瓶座なのでのぞいてみました。高校時代に、あるひとから「水瓶座は、美少年が水がめをもっている星座なのよ」と教えられ、さもありなん、と思っていたのですが〈笑)……その美少年がトロイアの王子ガニュメデスだった、という神話(それはそれはものすごい美少年だったらしい…名前はひどいが)と、もうひとつ、プロメテウスの子、デウカリオンだという伝説があるそうで、そのデウカリオンの伝説がおもしろかったのです。
 ★くわしくは遠野さんのHPを見てほしいのですが、デウカリオンはノアの箱舟伝説 そっくりの大洪水でノアみたいに生き残り、神に「堕落した人間を再び増やしていいものだろうか」とたずねます。すると神は、「頭を布で覆い、大いなる母の骨を歩きながら後ろに投げよ」とのたまいます。そこでかれはその謎をといて「大いなる母の骨」だと考えたものをうしろに投げていくと、つぎつぎと人間が生まれていった、という話です。
 ★この寓話から、わたしも考えたわけです。「大いなる母の骨をうしろに投げる行為」とは何か、と。その答はデウカリオンとはすこし異なります。……そして、それをしなければ、新しい人類は生まれてはこないのだなあ、と。思いました。あなたにも考えてもらいたい。「大いなる母の骨をうしろに投げる」とはいったいどういうことなのか、と。

2003年4月13日
★ふるさとの便り★

 ★わたしの故郷は、石川県羽咋市。はくい、と読む。全国でひとつしかない地名漢字が「咋」だ。そこの市民課から市の広報に何か書けという依頼があったので数枚の原稿を書いて、先日その広報が届いた。いろんな活動にがんばっている地方自治体のニュース。高校時代の同級生と同じ姓の若い方の写真とか、短歌の欄には記憶のある名前が載っていたり、じつはたぶん遠縁の方かなにかなんだろうけど、いろいろ想像すると楽しかった。これを機会にわたしの本もすこしは故郷で売れてくれるといいんだけど、保守的な土地柄ですしね。まあ、『ふるさとは、夏』だけでも多少は読まれてほしいものだ。

2003年4月10日
★与えられる「解放」と「民主主義」★

 ★独裁者フセインの像が引き倒され、民衆が狂喜している映像。なにはともあれ、これで戦争が終わってくれれば、という思いはたしかにある。そしてかの国は無傷の石油資源とともに「民主化」されるのか?……今を去ること58年前、この国も、「解放」されたことがあった。すこしだけ思い出してみる。……長い戦争に疲れ、傷ついた人々にとって、何が起きようと、「もう充分だ」という気持ちだった。……きけば新型爆弾はヒロシマ、ナガサキという二つの美しい都市を、すべて消滅させたという。どんなにヤマトダマシイで戦車に突っ込んでみても、人間魚雷でぶつかってみても、あとからあとから戦車も軍艦も無尽蔵のように湧いて出てくるのだ。ゼロ戦がいちばん強いと思っていたら、いつのまにかその数倍の能力の戦闘機が雲霞のように飛んでくる。B29に向かって行けば、厚い装甲は20ミリ機銃でさえも通さない。戦艦大和の同型三番艦をやっとの思いで一隻の巨大空母に改装したら、完成したその日に沈没してしまった、のに、敵は何十隻の単位で空母を作る。こんな相手とどうやってこれから戦えというのか、神風は起きなかった、だが、天皇陛下が戦えというなら、結局死ぬまで戦うしかない。……ところが、暑い暑い真夏のある日、その天皇陛下はマイクの前に立ち、「もう戦争はやめる」と国民に語った。天皇陛下が始めた戦争だ。かれがやめる、というならやめるしかない。やめよう。……陛下、われわれ臣民は鬼畜米英に敗れてしまいました。申し訳ございません……。……ほんとうは庶民の気持ちとしては「やれやれ」だったのだ。だれもがそう思った。それまでの社会は変だった。ファシズムという名の、軍事政権にすぎなかったのだ。考えてみれば天皇陛下も犠牲者だ。だからみんなかわいそうだったんだ。死んだ兵士も、死んだ帝国の国民も、植民地の人々もみんなかわいそうだったが、軍隊が悪かったのです。……つまり、だれも悪くないわけだから、これからはみんな手をつないで、新しい国をつくろう。♪赤いりんごに唇よせて…ああ、いい唄だ。焼け跡だらけだけど、なんだかこの唄を聞いていると希望が湧いてくる。生きていこうという気持ちになってくる。そうだ。ぼくらはみんな生きている。死んだ人たちの分まで生きていこう。そうだそうだ。これからは民主主義。そしてぼくらは二度と武器を持ちません。平和な国に生まれ変わります。………ぶつぶつ。ぶつぶつ。こんなことでいいのかよ。ちがうんじゃないのか。いったい何のために戦ったんだよう。そんなつぶやきはすべて「だって負けたんだから仕方がない」という声のもとで、泡のようにはじけるしかなかった。……… イラクのみなさん。あなたたちは敗北したのだ。だが、何に<敗北>したのかをまちがえてはいけない。戦いはこれからだ。以上、かつての<敗戦>先輩国に住むものからのつぶやき。受け取ってくれたまえ。

2003年4月6日
★「ことば」の私物化★

 ★2年に一度の恒例、ということになるが、今年も児童文芸家協会の創作コンクール最終選考の作品が段ボールの箱で届いた。高学年向け長編作品が8つ。……最初に応募作品を3人の会員が読み、そこを通過したのち最終選考が選ばれるという手続きで上がってきた作品である。これをさらにわれわれ選考委員(6名)がまわし読みで全員読んで、5月に優秀作品を決定する。つまり、応募作品は、決定までに会員の作家たち9人に読まれることになる。こんな手間暇をかけて選ばれるから、残る作品はどれもかなりのパワーを秘めているものばかりということになる。今年の協会新人賞『チコのまあにいちゃん』(北川チハル)も、そうやって創作コンクールの低学年部門で最優秀となり、めでたく出版社の編集者の目にとまって世に出た作品だ。 コンクールで賞をとったからといって、現実に単行本として出版されるかというとそうはいかないわけで、まあ世に出るというのは大変なことではある。けれど優れた作品は、ちゃんと認められる機会がある。この児童文芸家協会の催しは公平で、優れた作品を浮かびあがらせる、たしかなコンクールである。だからもし「児童文学の作家になりたい」という方がいたら、応募してみたらどうだろう。とりあえずあなたの作品は、3人の作家に読まれて一次選考の結果を待つことになる。一人が「下読み」で決定するコンテストではない、という事実はそれなりに応募者にとって、納得できる材料になるのではないだろうか。
 ★そんなわけで、初々しい原稿を読むのは楽しい。じぶんのデビューした頃を思い出す。……で、いつも思うこと。それは「ことば」を私物化してはならない、ということです。みなさん。作品はあなたが「書いた」瞬間から、あなたのものではなくなるのです……おお、わたしはこれをいったいこれまで何度くりかえして語ってきたことか。でもいつまでたっても、この誤解は消えない。……あなたの「ことば」への思いこみが強すぎて、他人の心まで届かないんですよ。あなたが、「ことば」を自分のものと思わないで、もうすこしだけ「謙虚」になったなら、あなたの作品は今すぐにでも「賞」をとるだろうに。……さて。気をとりなおして次の作品を読んでみよう。

2003年4月3日
★「ことば」の意味★

 ★前回のつづきですが、ここを見ている小学生や中学生もいるかもしれないからわかりやすく書いておきましょう。「ことばを使う、ということは、じぶんをすこし離れて見ることができるようになる、ということです。それはもうすこしじぶんが大きくなるためにどうしても必要なことなんです」といいました。これを難しいことばでいうと「客観視する」ということです。ふつう、ひとは「主観的に」ものごとをとらえます。じぶんだけの見方、といったらいいかな。「ムカツク」とか「ウザイ」とか「キモイ」とかいう感覚的なことばはみんな、じぶんのそのままの感覚をあらわしていることばです。で、「客観視する」というのはどういうことかというと、そういうじぶんを外から見る、ということなんです。つまり、「『ムカツク』わたしがいる」「『ウザイ』と思っているボクがいる」ということです。それは「ムカツク」といっている「わたし」の「外」から「わたし」を見ている「ワタシ」がいる、ということです。(もうすこしガマンしておくれ)その「ワタシ」から「わたし」を見ると、「わたし」って、ちょっとばかりバカだったかも…というようなことに気付くでしょ。ね?「ワタシ」の方がすこし大きいのです。そういう「ワタシ」が、頭の中にちゃんと存在する、ということ、それが「ことばを使う」ということなんです。目の前のできごとにただ「ムカツク」「ウザイ」「キモイ」だけでは、犬がほえてるのと変わらないでしょ。犬が悪いといってるんじゃないですよ。そうじゃなくて、そういうじぶんを見つめるもうひとつの「目」があれば、かならずあなたはその先に進むことができる、ということなんです。……う〜ん。うまく説明できなかったかもしれないな〜。