2003年3月29日
春の合宿「ことばの森」★

 ★火曜日から金曜日まで、『ことばの森』合宿に行ってきました。4日間、あっという間でした。新中1から高卒生まで25名。本なんか大嫌い、という子もいてどうなることかと思いましたが、でも4日間たって、みんな楽しかったといってくれてほんとによかったです。朗読の楽しさ、物語のおもしろさ、さまざまな文学のもっている力…そんなものにふれて、いろいろ頭を使い、考えてくれた4日間だったと思います。
 ★合宿の環境もよく、山のなかのつり橋まで散歩したり、近くの広場でみんなでゴムボールの野球なんかもしたり、夜は星空の下を散歩したりもしました。もちろん<ジアコギ>のライブもすばらしかったです。もうすっかりみんな顔も名前もおぼえて、夜は高校生が中学生の宿題を見てあげているといったほほえましい光景も。
 ★さまざまな文学の『朗読』をやったわけですが、しかしまあ、ことばというのはおもしろい。こどもたちにはこんなことをいいました。「ことばを使う、ということは、じぶんをすこし離れて見ることができるようになる、ということです。それはもうすこしじぶんが大きくなるためにどうしても必要なことなんです」と。

2003年3月23日
★最新作『マジカル・ミステリー・シャドー』&合宿「ことばの森」★

 ★戦争なんか始まったものだからつい書きそびれましたが、新作『マジカル・ミステリー・シャドー』(学研)発売になりました。掲示板で「ビートルズの歌のタイトルのパクリです」といったとおり、magical mystery tour をもじったタイトルで、その原型はいぜん『影の教室』と題して偕成社の『だいすきミステリー』第3巻に収録された短編です。230枚。快調に仕上がってうれしいです。3月19日に編集者さん、制作さん、および挿絵の小松良佳さんと打ち上げをしました。小松さんのことを最初編集者もわたしもなぜか男性だとばかり思っていたのですが、とても魅力的な若い女性でした。あの場面、この場面についての話に花が咲きました。わたしはマコトとお母さんとのシーンが好きなんです、といったら小松さん「あれはうちの台所です」。小松さんは『夜の子どもたち』もお読みになっていて、「真理子が玄室でこちらを見るところ、こわかったですう!」と。また『サラシナ』の佐竹さんのファンでもあるということで、楽しかった夜でした。

 ★さて、わたしは火曜日から金曜日まで、『ことばの森』合宿に行ってまいります。ものすごい量の古今東西の<表現>の断片を集めてみました。賢治はもちろんですが、シェイクスピア、清少納言、ポー、鴎外、俊太郎、田村隆一、龍、竜之介、康成、健三郎、筒井康隆、ビートたけし、佐野洋子、中田英寿、2ちゃんねる……&メリー・プロジェクトまで、ね。ことばの森ですからたくさんのことばを投げかけ、そしてみんなからも集めてみたいと思っています。新中1から新高卒生まで25名です。ディベートも楽しみ。みんなの<表現>も楽しみ。そしてそして、なんと4月にCDデビューする<ジアコギ>まで来てくれるという超豪華な4日間でえす。

2003年3月18日
★ブッシュの最後通告★

 ★ 3000トンの爆弾を落とすといわれればだれでもいいなりになると思っているのだろうか。それがおのれの頭上に降ってくるという悪夢を一度は見たのではなかったのか。……見事なまでのハイテク兵器。B2というUFOと見まがうばかりの爆撃機や、ヒナギク刈り取り機、みたいなかわいい名前で周囲数百メートルのすべてを皆殺しにする爆弾や、その数倍の威力の気化爆弾。巨大な原子力空母は優にひとつの国を抹殺できるだけの原爆を積んでいる。それらのハイテク信奉者たちは、このイラク攻撃が「理不尽」な戦争であるという簡単な図式すら理解できない。 ゲームでもやる感覚なのだろう。……アメリカは、世の中がじぶんの思い通りにはならないということをこの先思い知ることになる。それだけはいっておこう。20世紀にディズニーとコカコーラに代表される文化を世界にはびこらせ、21世紀にこの戦争を開始した国は、これから没落してゆくしかないだろう。当然ながら、それに追随する某国も、このままでは没落におつきあいするしかないだろう。数にまかせて戦争をしかけるおぞましいオークの大軍、それがアメリカだ。

2003年3月13日
★もうすぐ春★

 ★例年だと、スキーキャンプをやるのでスキー場の積雪量を毎日チェックしている時期、今年からはスキーキャンプのかわりに合宿「ことばの森」をやろうとしているので、積雪量は気にならないが、合宿のことで頭がいっぱいだ。いろんな作品を……詩・小説・戯曲・古典・歌・唄などなど……を中高生諸君に味わってもらおうと思っている。原文の美しさも同時に。せっかくの4日間なので参加者全員が参加できるストーリーも考えている。みんながメッセージをのびのびと発してくれる場になればいいと思う。人数は少ないけど、そのぶん楽しくなりそう。
 ★「中部児童文学」98号が届いた。敬愛する浜たかやさんを中心としたこのグループはいつもレベルが高い作品が並んでいるので楽しみだ。昨年「西日本児童文芸のつどい」でわたしの「ファンタジーの部屋」に参加してくれた、たかはしいちげんさんの作品「メビウス」が冒頭を飾っていた。なんだかふしぎな味の小説なんだけど、主人公の少年がすごくいい。いちげんさん、おもしろいよやっぱり。こういうのをたくさん書いた本つくってほしい。ポール・ジェニングスみたいに。男性作家ならではの少年の描き方。

2003年3月9日
★「物語が見える」とき★

 初稿を書き上げる。そのときの思いというのは、「未完成だな〜」とか、「よくできた!」とか、「ひょっとして、ぜんぜんダメなんでは?」などなど、いろいろです。客観的に見えてなどいないのです。原稿を編集者に渡して、やがて感想とともにもどってくる。じぶんでももう一度読み返してみる。すると、前はわからなかったことが、その時はじめて、何が欠けていたのか、とか、いいのか、悪いのか、ということがわかってきます。それを直してしまえばこれで「完成原稿」ということになるわけですが、そこに至るまでに、いろいろな紆余曲折があります。最初から「完成だっ!」といって渡せる作家もいるでしょうけど、わたしの場合はたいていこういうプロセスをたどります。だから最後までああでもないこうでもないと原稿をいじくるわけです。そうやっていじくっていると、「あ、これってこういう話だったんだ!」ということがわかってくるのですよね。……いじくればいじくるほど、ひどくなっていく場合ももちろんあります。最初の方がはるかによかった、ということがね。それは「見えなくなった」という例です。作品、というのはそれくらい、わけのわからないものです。もしかしたら、今あなたが書いているものは、ものすごい傑作かもしれません……いや、たいていの作品というのはそういう萌芽を秘めているものです……。けれど、それが「傑作」たりうるためには、書き手がその作品を「見切る」ことができる、ということが条件のような気がするのです。こんなことをなぜ書いているかというと、この間『ドーム郡ものがたり』の直しをしていて、はじめて「見えた!」と思ったからなのです。こういう物語だったのだ、ということがはじめてわかった、ということです。自分の掌に載った、といっていいでしょう。……こう言いきるのはまだちょっと傲慢にすぎるかもしれませんけど……。でも、そんなふうに思ったのははじめてでした。あの作品は、わたしの「書く」という行為をすこし越えたところで成立していたという、まあ「神がかり」の作品なので、なかなかじぶんのもの、という思いが持てなかったのですが、ようやく自分のものになった、という感じかもしれません。

2003年3月8日
★「指輪物語」とわたし★

 まあこんな機会だから書いておこう。たぶん今は絶版だと思うけれど、評論社から出ている『J.R.R.トールキン』という評伝を訳している方、菅原啓州氏こそが、『ドーム郡ものがたり』をハイ・ファンタジーへと導いたひとです。で、正直にいえばはじめてハイファンタジーというものを知って、「文学」の新しい可能性というものに目覚めたわたしではありましたが、じゃあ『指輪物語』が本当におもしろかったのかといえば、「う〜ん」というのが正直なところだったのです。この「う〜ん」にはいろんな意味がこめられていて、たぶん、今映画などを見て指輪物語のおもしろさに目覚めている方々とはやはり根本的にちがうんだろうなあ、と思います。いやこれはちっとも偉そうにしてるわけではなくて、嫉妬と羨望をこめて言うわけですけどね。残念ながら、いぬいとみこさんみたいに、ホビットを読んだからといって、「じゃあ日本にやってきたホビットを書こう」というふうにはならなかった。あるいは佐藤さとるさんのように「じゃあ日本の小人だったらコロボックルだ」とはならなかった。はっきりいえば、「なんで小人なんだ?」というのがわたしの最初の感想だったわけです。フロドやサムががホビットである必然性は作品のなかにはないのではないか、と思ったわけです。そういうことが『ドーム郡ものがたり』のモチーフになっているとは思います。菅原啓州さんの福音館書店での同僚である斎藤敦夫さんの『グリックの冒険』や『ガンバ』も、「なんで動物なんだ?」と思ったのです。ファンタジーという新しい器に、別に動物や小人を主人公にする必要はないじゃないか、人間が主人公になればいいんだから、と。ということで、『ドーム郡ものがたり』になるわけです。この項つづく……かな?

2003年3月5日
★「見方」を変える★

 たとえば、じぶんで小説を書こうと思ったひとは、それまで何気なく読んでいた小説の読み方が、すこし変わるでしょう。ある文章に素直に感動したりするのではなくて、「なるほど、こういうときにこういう表現をするんだ」という別の感心する要素が加わってくるのです。それまで「読者」というただひとつの視点しかなかったのが、こんどは「書き手として」という新しい視点が加わることになる。……こんなことを思うのは、もちろん自分が書き手であったり、劇、というものにかかわったりしているからなのですが、たとえば映画を見るとか、テレビを見ても、その裏側が想像できるようになる、作り手たちの気持ちやら、その場の雰囲気やら、そこに至るまでのリーダーシップをとった人間のすごさとか、ものの見方はかなり変わってくるのです。そう、たとえばサッカー経験者がサッカーのゲームを見るようなものかなあ。ある何気ない(ようにしか素人には見えない)プレーがどんなにすごいか、ということがわかるまでには、「やったことのない」ひとは、かなりの「見る」訓練をつまなければならないわけです。それがすなわち「想像力」をひろげる、ということなのですが、そういう視点をもつことができれば、さまざまなことに応用がきくようになるはずです。残念ながら、みんなじぶんの領分のことに関する想像力は持っていても……それは簡単だからね、経験したことだから……ちがう領分の想像力を働かせることはなかなかしない。でも、それをしなければならないのです。それが「賢くなる」ということなのです。そう。わたしは「戦争」や「メディア」のことについていっています。

2003年3月3日
★「生き方」というようなこと★

16才とか17才あたりの頃に、「生きるというのはどういうことか」とか、「どうやって生きていくのか」 みたいな、どうあがいても答の出てこない袋小路に捉えられてしまった。それがそもそもはじまり、だったような気がしている。今では。そう。今になって、なんとなくわかるのは、物書きになるためとか、「作家になる」ために生きるわけではなくて、そもそもの最初に「なぜ生きるのか?」という、そんな根源的な問いかけがあったのだった。それはどういう職業を選ぶか、とか、どういう生活をしたいのか、ということではなくて、なんといえばいいか、結局のところ自分と<世界>の関係について堂々巡りをしているだけのことではないかとも思うのだけど、でもそういうこと、つまり、<わたし>にかかわるあらゆる<問い>の答をさがすための旅であって、<書く>ことはその副産物、いや、その旅の紀行文にすぎないような気が……ずっとしていた。そういう「こだわり」みたいなものが、じぶんの作品のある「異相」なのかもしれない、とふと思う。ルーツは16,7才の頃にあったようだ。

2003年3月1日
★『山猫あとりゑ』訪問★

 青梅に着いた頃から雨足が激しくなる。電車を乗り換えると、窓が大きくて座席が窓に向いているという楽しい車両。そこからすぐの「二俣尾」という駅に降りる。梅郷というだけあってあちこちに梅の花が咲いている。奥多摩橋という、新しい(すこし趣味の悪い)鉄橋を渡る。途中に景色を見るためのスペースがとってあり、手すりからのぞくとそこは千尋の谷。雨に煙る山々も風情があり、あ〜なんていいところだろうと深呼吸…すると目の前に杉の木々が花粉をいっぱいつけている。同行編集者「でもここの人達は花粉症にはなりませんよ。花粉症は排気ガスとの化 学反応なんです」という。それは正しいと思うほど空気は清い。製材所の木の匂いも新鮮。そんな山の中に小林敏也さんの『山猫あとりゑ』があった。いつかここに来たいと思って、思いながら十数年が過ぎてしまった。わたしの夢に出てきた『山猫あとりゑ』に、わたしはいつも中に入ることができなかったのだけど、今日はその中に……。そこでの出来事はまたいつか書きます。そこでの出会いも。山猫あとりゑ。すてきなすてきなところでした。薪ストーブで燻したロリエの葉っぱの香りがいつまでもわたしのセーターについています。